鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

「津軽海峡・冬景色」を見に行く旅R(1)

※記事の内容は旅行当時のものです。

2022年1月23日(日)

 9時22分、信越線の長岡行き快速電車が定刻通り直江津駅のホームから走り出したとき、私は心の中でガッツポーズをしていた。冬場の日本海側は天気が荒れやすく、特にいま乗っている信越線の直江津~長岡間は、強風や大雪によってすぐに遅延したり運休したりする。ちょうど1年前に私が青森・函館旅行を企てたときにも、実に三十何年来という大寒波が襲来し、旅行は中止に追い込まれた。

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 しかし今日はどうだ。朝から晴天に恵まれ、風もなく、海も春のように穏やかである。「雪辱」というのは「辱めを雪(すす)ぐ」という意味だそうだが、文字通りによって「旅行中止」というめを受けた私は、この天をもって雪辱を晴らしたのである。タイトルにつけたRは、ReturnあるいはRevengeの意だと思っていただければよい。

 私を乗せた列車は、すべるように走って終点の長岡駅に到着。ここから新潟行きの快速電車に乗り換える。乗り継ぎ時間はわずか4分しかないのに、対面ではなく階段の上り下りをさせられるが、上手い具合に快速同士で乗り継げるのは悪くないダイヤだと思う。

 階段を下りた先に停まっていたのは115系3両編成。マニアの間では、その色から「レモン牛乳」と呼ばれる車両である。日曜日なので混雑が心配だったが、車端部のロングシートに空席を見つけて腰を下ろすと、ガタピシと仰々しく車体を震わせ、足元からモーターの轟音を奏でながら発車した。

 列車は新潟平野を北上していく。相変わらずいい天気で、青い空と白い雪原(田んぼ)のコントラストが目にまぶしい。長岡まで乗ってきたE129系に比べるとやはり乗り心地はお粗末だが、これももうすぐ乗れなくなると思うと、老体に鞭打って力強く走る様は大変好もしい。車端部だからバウンドの具合も申し分ない。

 定刻通り終点の新潟駅に到着。乗り換え時間があるので、絶賛工事中の新潟駅の様子を記録するべく、改札を抜けて駅前をウロウロする。

 国鉄時代の「新潟鉄道管理局」はとうに姿を消し、新たな高架駅の外観もできあがっていた。

 駅のリニューアルとともに、この風情ある駅前バスターミナルもまもなく姿を消す。リベット打ちの鉄骨で組まれ、長年に渡り新潟の風雪に耐えてきた武骨な屋根。そこへバスは誘導員の笛の音を頼りにバックで入ってきて、お客を乗せると再び三々五々に散っていく。

 新潟市から遠く離れた上越・魚沼の民である私でさえ、センチメンタルな気持ちになるのだから、この駅とバスターミナルの姿を見続けてきた新潟市民の心情はいかばかりか。

 さて、列車の入線時間が迫ってきたので、駅弁を買ってホームへ向かう。エスカレーターを上ると、私の乗る特急「いなほ5号」秋田行きが入ってきた。車両はかつて常磐線で活躍したE653系、これも色合いから「フルーツ牛乳」などとと称される塗装の7両編成だった。実にいい色だと思う。ちなみに青一色の「瑠璃色」、どぎついピンク色をまとった「ハマナス色」という編成もある。

 乗車するのはグリーン車である。特急や新幹線に乗るというだけで非日常なのに、グリーン車を奮発するのはいかにも身の丈に合っていないようで気が引けるけれども、この「いなほ」グリーン車には一度乗ってみたかった。

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 元々、E653系には常磐線時代はグリーン車がなく、「いなほ」転用にあたり先頭車両をグリーン車として改造することになった。しかし座席間隔の狭い普通席をグリーン車にしたので、そのまま座席を並べたのでは窓の位置が合わない。そこで、思い切って前後2席分のスペースを贅沢に使い、さらにはパーテーションを設けるなど、新幹線でも敵わないような規格外のグリーン車が誕生した。

 乗車するのはもちろん1番A席。ここは運転席に一番近い座席*1で特に広く、1,820mmのシートピッチ(座席間隔)を存分に味わうことができる。ちなみに一般的なグリーン車のシートピッチは1,160mm、あのグランクラスでさえ1,300mmである。

 新潟駅を出発した列車は住宅密集地を抜け、阿賀野川を渡ってさらに郊外へと進んでいく。沿線に家が少なくなってくると、景色も信越線と大して変わらず、空と雪原が広がる。ここいらで昼食にしよう。

 新潟駅で購入した「えび千両ちらし」。新発田の企業が調製している駅弁で、何かのテレビ番組で見て以来、かねてからうまそうだなと思っていた。

 ふたを開けるとなるほど、千両箱の大判小判よろしく黄金の玉子焼きが敷き詰められ、その上にえびのおぼろが散らしてある。もちろんこれで終わりではない。玉子焼きをめくると、下には蒸しえび、いか、こはだ、さらにはうなぎが隠れているのだ。えびだけではなく一度に4種類の具が楽しめる、非常に豪華で美味なちらし寿司だった。

 村上駅を発車すると、デッドセクション*2通過のため車内灯が一時消灯した。えちごトキめき鉄道梶屋敷駅から、南北に長い新潟県内をひたすら貫いてきた直流区間はここ村上駅で終わり、交流区間へと突入する。と言っても体感的な変化は当然なく、昼間なので車内が真っ暗になることもなく、存外地味に交直切り替えの「儀式」は終わった。

 村上から先は、日本海の海岸線に沿うて走る。このあたりは「笹川流れ」と呼ばれ、海の向こうに粟島を望みながら、複雑な海岸線と奇岩が織りなす風光明媚な景色が車窓に広がる。

 しかし風光明媚ということは気象条件が厳しいということでもあり、特に村上以北の羽越線は「強風のメッカ」と呼びたくなるくらい風の影響をもろに受ける。それは今朝がた通ってきた信越線の比ではなく、冬場の新潟県内は天気が荒れ始めると真っ先に羽越線が止まるのである。

 だから、冬に直江津から日本海側を北上するとなると、まずは信越線の直江津~長岡間が立ちふさがり、次いで長岡~東三条間の平野で地吹雪が待ち構え、そこをクリアしてもこの羽越線が最大の障壁となるのだが、幸いにして今日はこちらも天気は穏やかだった。

 列車は山形県に入ってなおしばらく海を見ながら進み、やがて右へカーブして内陸を進んで行く。鶴岡、酒田と山形県庄内地方の二大都市に停車して、ここで直江津から連綿と続いてきたJR東日本新潟支社管内は終わる。秋田支社の乗務員へと交代し、車内の乗客も多くが入れ替わるようだ。

 景色は人家と雪原と山の稜線ばかりで、新潟県と大差ない。次の停車駅である遊佐を出ると、列車は再び海沿いへと打ち出でるが、笹川流れを見てきた目には大して新鮮な景色でもなく、さすがに少々飽き飽きしてくる。

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 秋田県内に入るころには空には灰色の雲が広がり、雪も少しちらついてきた。そのせいもあるのだろうか、寒い。さすがに足元が広すぎるようで、座席下の暖房装置があまり効いておらず薄ら寒い。こういうときのために、グリーン車のサービスの一つとして、頭上の荷物棚の隅にひざ掛けが用意してある。こんなものはついぞ使ったことのない私であったが、このときばかりはありがたく使用した。

 秋田県内に入っても景色は似たようなものだが、一つだけ特異なものがあって、それは風力発電機の多さである。こういう風力発電機はもちろん新潟県にもあり、山形県にだってあるに違いないが、これほどまで視界にいくつも入って来るのはちょっと珍しい。山の上でよし、海岸でよし、あちこちにスケール感覚の狂うような巨大な風力発電機が林立し、3枚の羽をぐるぐると回している様は、どことなくSFチックでもある。

 そして新潟駅を発車してから3時間半、「いなほ5号」は鉄路恙なく終点の秋田駅に到着した。今日はここで一泊する。直江津から秋田まで、実に総走行距離400km超の道のりをひたすら冬の日本海に沿うて北上してきたが、まったくの定時で走ってくれたことは改めて僥倖であったと言えよう。

 駅前のホテルにチェックインしたら、駅ナカにある親子丼の店「秋田比内地鶏や」へ向かう。ここを訪れるのは大学以来2回目である。

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 比内地鶏の肉と卵を使った親子丼は、フワフワトロトロの絶品! ……なのだが、申し訳ない、それ以上にセットの冷たいそばがうめぇ。汁が無いように見えるが、写真には写りづらいほど透明度の高い地鶏出汁(?)スープに浸っていて、これがツルツルシコシコの冷たいそばに絡みまくり。

 このコシのある冷たいそばは羽後町の名物だそうで、つなぎに海藻が使用されているという。海藻つなぎと言えば我が故郷・魚沼地方のへぎそばと同じである。だから私の舌に馴染む……実に馴染むぞおおおお!!

 麺類の汁を飲み干す習慣はないのに、あまりのうまさに食事が終わるのが名残惜しく、レンゲでチマチマ舐めているうちに結局すべて飲んでしまった。「秋田に行ってうまいそばを食ってきました」と言ったら「稲庭うどんじゃなくて?」と笑われてしまいそうだが、次に秋田へ行く機会があったら絶対にまた食べたい、そう思えるくらいうまいそばだった。

 

つづく

 

 

*1:酒田・秋田方面では先頭になる

*2:列車を動かす電気が直流または交流へと切り替わるために、その緩衝地帯として電気が流れていない区間