鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

「津軽海峡・冬景色」を見に行く旅R(4)

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rockmansion.hatenablog.jp

 

※記事の内容は旅行当時のものです。

※執筆の都合上、写真の順序が前後している場合があります。

2022年1月25日(火) 午後

 「道南いさりび鉄道」通称「いさ鉄」は、2016年の北海道新幹線開業に伴って五稜郭木古内駅間がJR北海道から分離され、誕生した第3セクターである。かつてはJR江差線と呼ばれていた。私は2014年に江差線木古内江差駅間が部分廃止となる際に乗ったのが最初で、およそ8年ぶりとなる。だから、いさ鉄に経営移管されてからは初めての乗車だ。

 いさ鉄の起点は函館の1つ先の五稜郭駅で、持っているフリーきっぷだけでは乗車できないため、函館~五稜郭間の乗車券を別途購入し改札を通る。

 ホームへ向かうと、紅白に塗り分けられた単行のキハ40系がガラガラとエンジンをアイドリングさせて待っていた。木古内行きの普通列車である。車両は江差線だったときと変わらず、色だけを塗り替えて使っている。

 定刻の13時35分、仰々しいエンジン音を響かせて函館駅を出発した。次の五稜郭駅でJR函館本線と分かれ、道南いさりび鉄道線へ入って行く。その次の七重浜駅では、夜空に星を散りばめたようなデザインの「ながまれ号」とすれ違った。これは観光列車であるが、普段は定期列車としても運用に入っている。

 列車はしばらく市街地を走り、上磯駅を発車すると海の近くへ出る。函館湾である。湾を挟んで向こうに見える山塊は、夜景スポットとして有名な函館山だ。

 渡島当別駅は、修道士が作る酪農製品で知られる「トラピスト修道院」の最寄り駅。駅舎も教会を模したものになっている。

 いさ鉄の列車はすべて1両ないし2両の気動車で、特に上磯から木古内駅間は1~2時間に1本程度しか旅客列車が走っていないが、長大編成の貨物列車とは頻繁にすれ違う。3セク化されたとはいえ、貨物にとっては北海道と本州を結ぶ唯一の鉄路であることに変わりはない。電化もされており、貨物列車のためだけにそれが維持されている状況だ。

  

 函館からおよそ1時間で、終点の木古内駅4番線に到着した。ちなみに4・5番線はかつての江差線ホームで、1~3番線は津軽海峡線ホームだったが、現在は使用されておらず欠番となっている。一番前のドアから、運転士にきっぷを見せて下車する。

 ……というのもこの木古内駅北海道新幹線との乗り換え駅なのだが、いさ鉄側は無人駅なのである。かつては青森と函館を結ぶ特急「(スーパー)白鳥」が全列車停車する有人駅であったが、いさ鉄へ経営移管されてからは無人駅となってしまった。

 とはいえ、待合室内には観光協会があるし、ブラインドで閉じられたかつての改札窓口の中からも話し声がするので、まったくの無人というわけではない。運転士の休憩所兼、冬期は除雪要員の詰所にもなっているのだろう。

 ついでに北海道新幹線の改札口も見学。こちらはもちろん有人である。新幹線と言えども停車するのはおおむね2~3時間に1本程度、うち東京まで行くのは6往復しかない。だが、北海道の田舎町から乗り換えなしで東京駅まで行けるようになったという利便性の向上や、時間的のみならず心理的な距離感の短縮、そしてそれらがもたらす経済効果は計り知れない。

 線路を跨いで駅の南北を結ぶ自由通路から本州方面を臨む。右の高架が新幹線、左の地上線はかつて数多くの寝台列車や特急列車が行き来していた在来線である。現在は貨物列車のみが走行しており、旅客が在来線で行けるのはここ木古内まで。新幹線と在来線、2つの線路はこの先で合流し、青函トンネルを通って本州へ至る。

 折り返し列車まで時間があるので、駅前にある道の駅「みそぎの郷きこない」を訪問。これも新幹線開業に伴って整備された施設である。はこだて和牛のコロッケ*1を食べ、いさ鉄のタオルを記念に買った。

 15時19分、木古内駅を発車。ロングシートには短距離利用の地元民らしき人がチラホラと座り、私のような旅行者は1ボックスに1~2人で座っている格好だ。同じ列車で同じ線路を戻るので、見終わった絵巻を巻き戻していくような時間が過ぎる。北斗市役所の最寄り駅である清川口駅では幾人も乗車があったが、混雑というほどのこともなく列車は函館を目指して走る。

 私が降りるつもりの五稜郭駅の1つ手前、七重浜駅に停車。するとドアが開くや否や、高校生の大群が喚声とともに押し入って来て通路までいっぱいになり、たちまち車内は叫喚の巷となった。デッキ付きでドアが片側2箇所しかついていないキハ40系だから、ドア付近だけは東京の通勤電車もかくやという混雑となり、おまけにまだ乗れない学生がホーム上の乗降口に固まっていて一向に発車できない。運転士がもっと詰めろと繰り返しアナウンスを入れ、私が1人で座っていたボックスにも男子高校生が3人して座り、超満員の状態でようやく発車した列車は函館本線と合流して、五稜郭駅に到着した。

 もし降りられなかったらこのまま函館まで行ってもよいと思ったが、降りる乗客も多かったので杞憂に終わった。

 高校生でいっぱいの待合室を抜け、外に出て五稜郭駅を眺める。函館市街に位置し、車両所を併設した運転上の要衝だが、駅舎は小ぢんまりとしている。その名にいただく星形の要塞「五稜郭」は駅から歩くには少々遠く、函館駅からの市電やバスの利用が無難だろう。私も行ってみたかったがもう夕方なので観光はあきらめ、函館駅行きのバスを待つ。そう、五稜郭函館駅間の別途JR運賃を節約するのと、ついでにバスの車窓から函館市内を見物しようともくろんで、わざわざ途中下車したのである。こういうことができるのもフリーきっぷの為せる技なり。

 バスで函館駅に戻って来て、ホテルにチェックインした。どこどこのホテルに泊まった、というのは普段ならば割愛することが多いが、今宵は函館駅併設の「JRイン函館」に宿を取ったからここに記しておく。JR北海道直営ということで、フロントロビーには往年の名列車のヘッドマークや機関車の模型が展示されていたり、部屋のハンガー掛けが動輪を模したものだったりと、遊び心にあふれている。まだ開業して間もないため、部屋がキレイなのもよい。

 さて、そろそろ暗くなってきたので、函館山の夜景を見に行こうと思う。まずは駅前からバスでロープウェイ乗り場へ行き、そこからロープウェイで登る。乗り場までのバスもフリーきっぷの対象であるから、行ってみないと損だ。

 ……しかし、それ以降の旅程は、当初の予定とはまったく異なるものとなった。

「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )」

 バス停に到着して驚いた。これはなんとしたことか、「まん延防止等重点措置」の適用に伴い、ロープウェイ乗り場へ行くシャトルバスが1月25日(=今日)から全便終日運休と書かれているではないか!

 コロナ禍での旅行にあってはこういう事態も起きようが、よりによって私が函館に来た当日から運休とはツイていない。あきらめきれずにロープウェイの運行会社のホームページを見ると、シャトルバスは運休だが、ロープウェイ自体は動いているようだ。

 それならば、少しでも乗り場に近いバス停まで別系統のバスで行き、そこから歩いてロープウェイに乗ることにしよう。そう決めて、不案内なバスの路線図や時刻表を何十分も眺めた末、駅から少し歩いたバス停にどうにかたどり着いたはいいが、あろうことか逆方向のバスに乗ってしまうという痛恨のミスを犯す。しかもそれに気づいたのは乗車してから15分も20分も後のことで、フリーきっぷだから余計な出費は無かったが、もはやロープウェイに乗る元気も時間も残っていなかった。

 鉄道ならば逆方向の列車に乗るようなへまは断じてしないけれど、土地勘のない街で初めて乗る複雑怪奇な市街地のバス、さらにはもうあたりが真っ暗で、どこをどう走っているのかまったく分からないからこういうことになる。

 「まん延防止」のおかげで飲食店は早じまいしているところも多く、結局はセイコーマートで夕食を調達し、徒労感でへとへとになってホテルに戻ってきた。ロビーの電子レンジで温めた石狩汁が、冷えた身体に染み渡る。そういえば、部屋の窓から駅のホームが見えたよな、とロールカーテンを上げる私。

 ……ああ、そうか。極寒の中、知らない街を一人ぼっちで右往左往せずとも、私にとっての函館の夜景はここにあったのだ。

 

つづく

 

*1:揚げたて!