鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

47番目の和歌山へ。雪中南紀阿房列車(5)完結

2023年1月25日(水) 午後

 ラーメンを食べ終えてJR和歌山駅へ戻ってきた。ダイヤは相変わらず混乱しており、発車標は調整中のままだったが、大阪方面へ向かう阪和線は順次運転を再開しているとのことであった。アナウンスに促されるまま、「大阪環状線」という行先を掲示した列車に乗車。ほどなくして走り出した。果たしてどうなるか、とりあえず行けるところまで行ってみよう。

JR阪和線 紀州路快速 大阪環状線直通

 雪によるノロノロ運転を覚悟していたが、列車はいい調子で走って行く。紀ノ川の鉄橋を渡り、雪が多そうな山間部を越えて大阪府に入り、住宅地の中をひた走る。

 しかし列車は長滝という駅で止まってしまった。もう1つ先の日根野関西空港へ向かう空港線との分岐駅で、本来の旅程では関西空港に立ち寄って見物するはずであった。事ここに至っては、もはや用事のない空港なぞ冷やかしているヒマはない。さっさと大阪へ向かわねば、その先の展望はない。

 雪はすでに止んで晴れ間も見えているものの、どうやら空港方面の列車と順番を調整しているらしく、5分経ち、10分経っても列車は動かない。なんでもいいが寒いから早くしてほしい。この列車、またもドア全開のまま止まっているのだ!

 昨日、寒風吹きすさぶ中をドア全開で何度も止められて、半自動(ボタン式)にすればいいのになんて気の利かない車掌だと恨めしく思ったが、こうなると車掌個人の資質というよりは、会社の姿勢や指導方針に原因があるのかもしれぬ。普段は「ドアは自動で開閉する」のが所定だから、マニュアルから逸脱した扱いを勝手にやってはいけないと思い込んでいるに違いない。

当時の列車走行位置のスクショ

 15分か、20分も待たされただろうか。やっと列車は動き出し、次の日根野では空港から来た列車を連結して、ともに大阪を目指す。ところが、大阪環状線へと入る天王寺の手前(機外)でまたも止められてしまった。今度は本線上で停まっているから寒さの心配はないが、窓の外はかすかに雪がちらついてきた。

 そのうちに驚くべきアナウンスが入った。この列車は大阪環状線内へ直通するはずが、急遽、天王寺止まりの列車になるという。このまま乗っていれば大阪駅まで行けたはずなのに、途中で降ろされる羽目になってしまった。

 家族や非鉄オタの知人はよく、なぜお前は知らない場所で知らない電車に迷わずに乗れるのかと言うが、それは単に乗換アプリや案内表示を駆使しているからであって、今日のように乱れに乱れまくったダイヤではまるで役に立たない。まして、土地勘のない関西で、ホームが何本もあって同一方向に発着しているような駅では尚更だ。天王寺駅は18番線まで存在するのである!

 雪の影響が少なそうな地下鉄に乗り換えようかとも考えたが、とにかく来たやつに乗ることにして適当なホームへ降りていくと、上手い具合に列車がやって来た。どうやら奈良方面から来たらしい。時計は15時16分を指しているのに、発車標にまだ14時22分発の列車が表示されていることからも、ダイヤの混乱ぶりが理解いただけると思う。

 そうして大阪駅へ着いた。本当はここから特急「サンダーバード」に乗車して、金沢回りで帰るはずだったのだが、北陸本線は未だに運転見合わせ中で、私が乗る予定の「サンダーバード」は運転するのかどうか定かではない。このまま構内で便々と待っていてもらちが明かないし、その時間があるなら少しでも自宅に近づいておきたい。私は東海道新幹線経由で帰ることに決めた。

 またも絶妙なタイミングで、環状線から脱出して新大阪へ向かう列車を捕まえることに成功した。使わなかった特急券はあとで払い戻しできるので、駅員に他経路乗車*1の特認の有無を尋ね、運行不能で乗車できなかった証明をしてもらったうえで、東海道新幹線と特急「しなの」の特急券を購入。

東海道新幹線「ひかり658号」東京行き

 ホームへ上がると同時にやって来た「ひかり658号」に乗車した。ちなみに大学時代、在来線をひたすら乗り継いで大阪から東京へ帰る途中、大雨の米原で3時間も足止めを食らったことがある。とうとう在来線では当日中に帰宅できないと分かり、名古屋から東京まで東海道新幹線を利用した、その日のことを思い出した。

 今日は雨ではなく雪が相手だから、なおのこと始末が悪い。新大阪を発車してしばらくは天気も回復しつつあり、うっすら雪化粧した街の上に青空も覗いていたのだが、東海道新幹線のアキレス腱とも言える関ヶ原のあたりへ差し掛かると、車窓は一変した。

 普段の年でも多少は雪が降るのだと思うが、家々の屋根や道路は厚い雪に覆われて、まったくの雪国である。誰かにこの写真だけを見せたら、東日本の新幹線の車窓だと思われても不思議ではない。そして速度は70km/hくらいしか出ていない。線路脇から車体にジャージャーと水をかけて、雪を溶かしている音が間断なく聞こえる。

 こんな調子で、乗る予定の「しなの」に間に合うのか少し不安になったが、定刻より40分くらいの遅れで名古屋に着いた。時刻は18時10分、今日中に上越へ帰れる「しなの23号」の発車は18時40分で、あのまま大阪でウダウダ悩んでいたら乗れなかったかもしれない。しかし、これならホームできしめんを食べるくらいの時間はある。

住よしのきしめん

 ホームの立ち食い店できしめんをズゾゾゾと啜り、ついでに売店で酒とツマミを少し買い込んで、特急「しなの23号」に乗車した。少し気が早いが、これでなんとか今日中に無事に帰れそうだから、旅行の打ち上げを兼ねて一人で祝杯を挙げたい。

特急「しなの23号」長野行き

 すっかり暗くなり、酒の酔いも手伝ってどこをどう走っているのか分からないが、木曽谷に入ると国道沿いの気温計がマイナス9度と表示されていた。さすがは長野県である。粉雪を巻き上げ、マイナス9度でも力強く走る「しなの」は頼もしい。

 そういえば「サンダーバード」はどうなったかとJR西日本の運行状況を見ると、私が乗るはずだった列車は運休となっていた。さっさと東海道新幹線で脱出してきてよかった。

北陸新幹線はくたか577号」金沢行き

 定刻通りに長野へ着いた。北陸新幹線はくたか577号」に乗り換える。名古屋からの最終特急「しなの25号」では接続する新幹線がないので、23号に乗り遅れると上越まで帰ることができない。北しなの線は大雪の影響で黒姫止まりとなっていたので、もし在来線しかない時代ならば、やっぱり帰ることができなかったかもしれない。

 新幹線の是非を語るうえで、速さや料金などの利便性だけに目が行きがちだが、「輸送の安定」という面も忘れてはならないと痛感する。気象条件の厳しい地域では尚更である。

 上越妙高に到着した。最後のランナー妙高はねうまライン直江津行きに乗り換える。前述の通り北しなの線は一部区間で運休していたが、はねうまラインは平常通りに走っているようだ。

妙高はねうまライン 普通 直江津行き

 やれやれ。今回の旅では雪のない温暖な南紀地方へ出かけたはずなのに、冬将軍に振り回されてしまった。

 発車時刻になり、運転士と特改車掌がドアに雪が詰まって閉まらないとワアワア言い出したのは聞かなかったことにして、私は暖房のよく効いたET127系のシートに身を委ねた。

 

おわり

 

 

 

*1:乗車券はそのまま、他の路線に迂回して行くこと