鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

異形カノジョのグルメ図鑑―食べる君と、食べられる俺

どうもこんにちは。

私は高校時代に「文芸部」というところにおったのですが、それ以来、約13年ぶりに小説を書きました。

この物語を、十日町の豆大福の名店に捧ぐ。

 

 

 月明かりだけが頼りの薄暗い道を、俺は足早に歩いていた。街灯の光は遠く、ひとけのない住宅街に静寂が満ちている。

 ――こんな時間に、どうして。

 理由は単純だ。予備校での補講が思ったより長引いてしまったのだ。普段乗っている電車を逃し、次はもう終電、おまけに1時間以上あと。徒歩で帰るしかなかった。
 途中、少しでも早く帰りたくて近道を選んだのが、運の尽きだった。雑木林の合間を抜けるこの道は、枯れ草が生い茂る空き地がところどころに広がっている。昼間ならなんてことのない景色も、夜になると不気味さを増していた。

 ――そして、俺は見てしまった。

 空き地の片隅。倒れているのは一匹の野良猫だろうか。首元から鮮血を滴らせ、その体はピクリとも動かない。地面の上には赤黒い染みが広がり、傍らには佇む少女の姿。

 白井凛花

 成績優秀、清楚で可憐。クラスは違うし言葉を交わしたこともないが、そんな俺でも知っているくらい、学校で人気の美少女だ。
 しかし、それは俺の知る彼女とはかけ離れていた。伸びた腕の先は黒くねじれた爪。血の滴る口元には鋭い牙が覗く。背中からは巨大な蝙蝠を思わせる黒い翼が広がり、赤く光る瞳が獲物を貪る獣のように輝いている。

 ――化け物だ。

 喉の奥で叫び声がせり上がる。それなのに、声にならない。恐怖が全身を支配し、膝が震える。逃げなければ。そう思った刹那、彼女の視線が俺を捉えた。
「……あはっ」
 凛花の口元がゆっくりと歪む。ぞくり、と背筋が凍る。
「見ちゃったんだ……どうしようかな。見ちゃったからには、口封じ……するしかないよね?」
 その瞬間、俺は悟った。彼女は俺を殺すつもりだ。息が詰まり、頭が真っ白になる。逃げようにも足は動かない。目の前の怪物が一歩、また一歩と近づいてくる。

 ――助けてくれ。

 心の中で何度も叫ぶ。でも、誰も来ない。視界が霞む中、俺は自分の口が勝手に動いていることに気がついた。
「ま、待って! 世の中には……も、もっとおいしいものがあるから!」
 自分でも意味がわからなかった。命乞いのつもりだったのか、それとも錯乱していたのか。
 だが。
「……え?」
 凛花の動きが止まった。何かに興味を持ったように首をかしげる
「もっと……おいしいもの?」
 赤い瞳がじっと俺を見つめる。そして、異形の彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあさ……キミよりおいしいもの、教えてよ。明日から、ね?」
 こうして、俺と彼女の奇妙な食探訪が始まったのだった。

 

 翌日、放課後。
「じゃあ、案内してもらおうかな?」
 昨日の夜のことが信じられないくらい、白井凛花はいつもの姿で俺の前に立っていた。長い黒髪は陽に透けると青みがかり、整った顔立ちにはどこか儚げな雰囲気がある。だが俺だけが知っている。彼女の裏の顔を。
「えっと……その、こっちだよ」
 俺はぎこちなく頷き、学校近くの商店街へと足を向けた。買い物客に混じり、学校帰りの連中がうろうろしているのが見える。凛花と一緒にいることが急に恥ずかしくなって、俺は隠れるように路地へ入り、目的の店の前へ出た。
 鶴屋菓子舗――昔ながらの和菓子屋さん。木造の建物に深緑ののれんがかかり、甘いあんの香りがふわりと漂ってくる。
「ここだ」
「へぇ……なんだか風情があるね」
 大通りから少し入ったところにある、この年季の入った店を、意外にも凛花は興味深そうに見つめていた。俺は店の引き戸をガラガラと開け、彼女を中へ招き入れた。
「いらっしゃい!」
 白髪頭の高齢の店主が笑顔で迎えてくれる。店内にはガラスケースがあり、色とりどりの和菓子が並んでいる。小さなテーブルと椅子が二組置かれ、奥には急須と茶器のセット。こぢんまりとしているが、どこか落ち着く空間だった。開店当時のものだろうか、壁には店の歴史を感じさせる白黒写真が飾られ、時代の流れを物語っていた。
「豆大福を二つください。中で食べていきます」
 俺がそう注文すると、店主のおじさんはにっこりと笑って頷いた。
 凛花と向き合って椅子に座るとすぐ、ふっくらした白い大福が皿にのせられ、目の前に差し出される。
「いただきます」
 凛花が一口かじる。すると、彼女の表情がふっと緩んだ。
「……おいしい」
 その一言に、俺は心の中で小さくガッツポーズをした。
「うちの豆大福はね、あんは時間かけてじっくり炊き上げ、甘さを控えめにしてあるんだ。餅も朝つきたてのものを使ってる。歯切れよく、けれど柔らかく、口の中でふわりとほどけるようにな」
 茶を入れてくれながら、おじさんが誇らしげに語る。この店の豆大福は評判がいい。餅の柔らかな食感と、豆のほどよい塩気が、あんの素朴な甘みを引き立て、どこか懐かしさを感じさせる。凛花は説明を聞いて、もう一口大福を頬張った。
「確かに、甘すぎなくて、すごく……うん、上品な味」
「それにしても、久しぶりに来たと思ったら、まさかカノジョを連れてくるとはな!」
 不意におじさんがニヤリと笑い、俺は飲んでいた茶を噴き出した。
「そんなんじゃないですって!」
 凛花が横目で俺を見てくる。
「お店の人と知り合いなの?」
「小さいころからの常連さんだからな」と、おじさんが笑いながら答える。「この子はね、昔からうちの豆大福が大好きで、最初はお母さんに連れられて来てたけど、すぐに一人でも来るようになってねぇ」
「ふーん……」
 凛花はしげしげと俺の方を見た。俺はなんとなく照れくさくなって、視線を逸らす。壁の白黒写真の下に、達筆な字で “春限定、桜もち” と書かれた張り紙がしてあった。
「この子は特にあんこが好きでね。最初は豆大福ばっかりだったけど、そのうちどら焼きや最中も試して、いつの間にか全部制覇してたんだ」
「いや、まあ……ここの和菓子は特別だからな」
 そんな会話を楽しんでいた時、おじさんがふと神妙な表情になり、静かに告げた。
「でもな、もうすぐ……店をたたもうと思ってるんだ」
「……え?」
 予想外の言葉に、俺は思わず固まる。
「え、どうして?」
 凛花も驚いたようにおじさんを見る。俺たちの反応を受けて、おじさんは小さく笑った。
「ま、ひとことで言えば時代の流れというか。後継ぎもいないし、歳をとると仕込みも大変になってな。それに近ごろは、前ほど客も多くないし」
 さらに続けて、おじさんはため息をついた。「それに、女房が……あいつ、今日は病院へ行ってるんだが、このところ急に足腰が弱ってきてな」
「おばさん……」
 俺は幼いころから店に通っていたため、店主の奥さんにもよくしてもらっていた。あの優しい笑顔を思い出し、胸が締めつけられる。
「長い間、一緒に店をやってきて、たくさん苦労もかけたからさ。これからは、あいつとの時間をもっとゆっくり過ごしたいんだよ」
 遠い目をして通りを見るおじさんの横顔に、俺は何も言えなかった。店の奥に目を向けると、以前はもっと活気があった気がする。商品の数も少なくなり、店内はどこか寂しげだ。
 凛花も黙って豆大福を見つめている。その姿には、昨夜見せた異形の気配はなかった。


 夕暮れの河川敷。西の空は淡い茜色に染まり、次第に群青へと溶けていく。土手の上に作られた遊歩道を、俺たちは並んで歩いていた。
 土手沿いの桜は、満開の時期を過ぎたばかりで、風が吹くたびに花びらを散らせていた。はらはらと舞い落ちる薄桃色の花びらは、水面に落ちて流れていくものもあれば、草むらに積もり、春の名残を静かに刻んでいるものもあった。
 凛花の腕には、茶色い紙袋が抱えられている。おじさんが「お前の初めてのカノジョさんにサービスだ」と言って持たせてくれたものだ。中には豆大福だけでなく、鶴屋のいろいろな和菓子が詰まっている。
「……本当に閉めちゃうんだね」
 ぽつりと凛花が言った。
「……ああ」
 俺も答えながら、心にぽっかりと穴が空いたような気分だった。店のあの甘い香り、おじさんの笑顔、おばさんの優しい声――。俺の小さなころの思い出が、少しずつ遠ざかっていく気がする。
「なんか、寂しいね」と、凛花が小さく呟く。俺は彼女の横顔を見た。
 いつもの彼女は、どんな表情をしているかわからない。けれど、この時の凛花は、人間と変わらない、どこか切ない目をしていた。
「人間の食べ物ってさ、ずっとあるわけじゃないんだね。いつか消えてしまうものもある……」
 俺はふと、彼女に向かって問いかけた。
「まだ、俺のこと食いたいか?」
 凛花は黙ったまま答えない。このタイミングでこの質問は、少し意地悪だったかもしれない。
 すると彼女は、不意に俺の袖をつまんで言った。
「……私、もっと知りたい」
「え?」
「もっといろんなおいしいもの、知りたいな。……ねえ、もっと教えてよ。一緒に……付き合ってくれる?」
 それはまるで、交際を迫るような口調だった。俺は思わず足を止め、凛花を見つめる。彼女の瞳は、真剣だった。失われる味に対する儚さと、今しか味わえないという特別な感情。おじさんの言葉がそれらと混ざり合い、彼女の心に何かを残したのかもしれない。
「……ああ、そうだな」
 俺はゆっくりと、そして少しだけ笑って頷いた。
「世の中には、おいしいものがまだまだあるからな」
 遠くで電車が鉄橋を渡る音が聞こえる。暖かな春の風がそっと吹き抜けて、柔らかい草の香りと、ほのかに甘い花の匂いがした。


  おわり

 

※この物語はフィクションです。実在の店舗や人物とは一切関係ありません。