鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

新潟県の小さな楽園:粟島旅行記【前編】

新潟県には離島が2つある。

1つは、佐渡島。沖縄本島に次いで日本で2番目に大きな離島である。古くから金や銀の採れる山があり、2024年、それがユネスコの世界文化遺産に登録されたことは大きなニュースとなった。朱鷺が生息する島でもあり、県外でもその名を知っている人は多いだろう。

ではもう1つはどうか。粟島(あわしま)という島である。佐渡島の北東にある小さな島で、自治体としては全島が「粟島浦村」という村になる。人口はわずか300人ほどしかない。新潟県の絵を描かせたときに、佐渡島の絵を描く人はいても、粟島まで忘れずに描く人は少ないだろう。実際、新潟県民でも行ったことのある人は相当少ないに違いない。

私も長年そうであった。佐渡には小学校の修学旅行で初めて行ったし、新潟県内のあらゆる市町村を訪れたが、粟島浦村だけは訪れたことがなかった。"訪れようがなかった"と言ったほうが適当かもしれない。なにせ佐渡よりもさらに遠く、日本海にポツンと浮かぶ離れ小島なのだから。

 

2025年9月26日(金)

 粟島へ行くフェリーは岩船港から出る。新潟県でもっとも北に位置する村上市の港である。私の生まれ故郷も、現在住んでいる上越市も、細長い新潟県の南・西部にあるので、まず村上までが遠い。高速道路を使っても休憩含めて2時間以上かかった。これが粟島を遠のかせた大きな原因の1つである。

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 しかし今や村上は通過点に過ぎぬ。勇躍ここ岩船港からフェリーに乗り込み、新潟県内で私が唯一訪れたことのない粟島の地を踏むときがやってきた。港の無料駐車場に愛車を止め、佐渡汽船のそれよりもはるかに小さい、ローカル線の駅のようなターミナルで乗船開始を待つ。

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 船の名は「ニューあわしま」。なんとなく昭和の観光ホテルのようなネーミングだが、2019年に就航したばかりのきれいな船である。総トン数654トン、定員400名の貨客船で、車両の積載が許されるのは島民と工事関係者などの用務客のみ。観光客は徒歩でしか乗船できない*1。ちなみにフェリー以外に高速船もあるらしいが、このときは大阪・関西万博の輸送に駆り出されていて、フェリーだけが運航していた。

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 10時30分、定刻通りに出航した。上越を出発するときは雨模様で天気が心配だったが、北上するにつれて回復し、徐々に離れていく本州との合間に横たわる水面がキラキラ光っている。やはり船旅はいい。非日常へ連れ去ってくれる格好の装置だと思う。

 船内はすべて自由席で、飛行機のような座席が並んでいる区画と、カーペットの敷いてある区画がある。外のデッキにもビニール張りのシートがある。ちなみに、船内に売店はなく、飲料の自動販売機があるのみ。お菓子や日用品、粟島のお土産品といった類は一切販売されていないので注意が必要だ。これは岩船港/粟島港フェリーターミナルも同じ。必要な品はターミナルへ向かう前に仕入れておこう。

 やがて、遠く見えていた島影が徐々に近づいてくる。小さい島と言いつつも目の前に見えてくるとなかなかのものである。島の外周に沿うた道路があるのか、異様な急角度で白い線――ガードレールが敷設されているのが見えた。

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 12時05分、定刻で粟島港に到着。ついに新潟県で唯一未踏の地、粟島へ上陸した。下船時はターミナルを通らずともよいようで、フェリーを降りた人々は三々五々に散っていく。

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 時刻はちょうどお昼、何をおいてもまずは腹ごしらえである。宿と同じ方角にある食堂「あわしま屋」に向かう。するとどうだ、店の入口に人だかりができているではないか。さっきフェリーの中で見かけた人間もいる。考えることは同じなのだ。うむむ、待っていてもいいが、いつになるか皆目見当がつかない。

 幸いにも宿は食堂の目と鼻の先なので、それでは暑い中ここで待っていても仕方ない。まず宿へ行ってみて、荷物を置かせてもらって、あわよくば部屋で待たせてもらおうではないか。それでY君と2人で宿へ行った――とここで突然Y君が出てくるのはおかしいけれど、申し遅れました、実は今回は元同僚の友人Y君と、男2人旅である。

 しばらく部屋の中を観察したり、トイレの場所や具合を確かめたりした後、もういいだろうと思って先程の食堂へ行った。それでもだいぶ待たされた後、日替わりの定食にありついた。メインのおかずは煮魚とイカ刺し、それに小鉢が数品。島の食堂らしく海の幸尽くしだけれど、イカ刺しは冷凍物だったように思う。

 腹ごしらえも済んだので、島の探検に出発する。粟島は島の東西に集落があり、我々が今いるのは東側の「内浦」というところである。フェリーターミナルや役場などの公共施設はこちら側で、島の玄関口となる。そのターミナルにある観光協会でレンタサイクルを借りる。前述の通り島外の人間はクルマやバイクを持ち込めないので、粟島における交通手段は、東西を結ぶコミュニティバスか自転車(レンタサイクル)のみである。

 レンタサイクルは電動が4時間で1,500円、普通のママチャリ(変速つき)が1日500円。電動はずいぶん高い。第一、台数が少ない。それでママチャリにしたのだが、結論を書くとこの選択は誤りであった。

 ターミナルを出発し、島の外周に敷かれた道路を時計回りに進む。今日は粟島の南側半分をチャリで回ってみるつもりである。お天気は最高で、進む左手は青い海と青い空、右手は緑濃く草木が繁茂している。潮風を浴びながらのんびり漕いでゆくと、日常の喧騒から切り離された実感が強くなる。

 ……が、次第に勾配がキツくなってきた。フェリーから見た急勾配に差し掛かったようだ。変速つきでも到底敵わず、たまらず降りて押しながら歩く羽目になった。休憩しようにも延々と上り坂が続き、日陰もないので汗だくでママチャリを押して歩く30代男性2人。何をやっておるのか。

 最初のチェックポイント、矢ヶ鼻展望台に着いた。アニメ『ざつ旅』にも登場した展望台である。村道の完成記念碑が佇み、空と海との間に本州の黒い山並みが見える。

 ここを過ぎると一転して道路は急な下り坂にかかる。人も車もめったに通らぬ道だろうけれど、万が一事故ったらヤバい*2ので、ブレーキを強めにかけて、速度が出すぎないように下っていく。

 途中、「八幡鼻」へ向かう分岐があるのでそちらへ寄り道する。これがまた難所であった。登山道のような長い階段を登って下ってようやく着く。粟島の最西端で、先程の矢ヶ鼻は最南端である。

 草木が茂りすぎて海のほうの眺望は今ひとつだが、振り返るとこれから通る村道の続きが見える。ええ……そろそろ釜谷集落が見えるかと思ったのに……あの向こうまで行くの?

 再び長い階段を登って下ってチャリを回収し、また小さな山越えをして、ようやく釜谷集落へ着いた。漁港と素朴な民宿が何軒か立ち並ぶ、島の西側にあるもう1つの集落である。ちなみに『ざつ旅』で主人公たちが宿泊した民宿はこちら側にある。これで今日の行程の約半分。釜谷を見て回るのは明日にして、このまま内浦へ戻ろうと思う。

 しかし、ここからが地獄であった。釜谷と内浦の間には、明確な「峠越え」が存在するのだ。小さな島だからアップダウンも大したことないだろう、と思っていた私が馬鹿だった。変速ごときでは太刀打ちできぬ急坂が延々と続く。またも死ぬほど汗をかきながら、ひたすらチャリを押して炎天下を歩く。歩く。内浦を出発してこの方、3度目の山越えである。これではチャリに跨っていた時間よりも、押して歩いている時間のほうが長いではないか。何をやっておるのかと思う(2回目)。時折、地元の人らしき車がすいすいと追い越していく。ああ、文明の利器が……原動機が恋しい。

 「灯台入口」というバス停のあたりでようやく下りにかかり、蓄えを一気に使い果たすように猛然と山を下って、フェリーターミナルの観光協会にチャリを返却した。歩くたびに太ももに鈍痛が走る。明日は絶対に電動にしようと誓って、ヘトヘトになりながら宿へ戻った。

 風呂を浴びて夕食をいただく。やはり海の幸ばかり、食べきれぬほど膳に並んだ。煮魚、焼き魚、刺身にフライ。しかし魚は大好きだから大変ありがたい。はるばる粟島へ来たからには、こういうのが食べたかったのだ。酒に弱いのに調子に乗って瓶ビールなぞを頼んでY君と乾杯した。

 この日は我々と同年輩のカップルだか夫婦だかの泊まり客がもう一組いて、広い座敷の隅になぜか衝立もなく4人固まってめしを食わされたのが微妙だったが、それ以外は大満足の夕食であった。

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 炎天下に一日中チャリを押し歩いてクタクタになり、風呂へ入って、酒を飲んで腹いっぱい魚を食べて、疲労と酔いと満腹感とで猛烈な睡魔が襲って来た。21時まではテレビを見たり、部屋に置いてあった古い旅行雑誌を読んだりして頑張って起きていたが、Y君に断って気絶するように寝た。大イビキをかいていたかどうかは知らない。

 

<後編へ続く>

 

 

*1:自転車は手荷物扱いで持ち込み可

*2:粟島には医者がいないし救急車もない