どうもこんにちは。
バイクを……買いました……。
?🤔
もう持っているはずでは???
はい。「ジクサー250」に乗っていました。……昨年の秋まではね。春を迎えるにあたり、バイクを買い替えました。
「スーパーカブ」です!!
言わずと知れた、原付の王様。その110ccモデルを買いました。
いやはや、ついに私も「カブ主」になってしまいましたよ。しかも、人生で最後に乗るバイクという意味で、よく「アガリのバイク」に挙げられるスーパーカブ。これで老後も安泰ですね(?)。
続きを読む朝起きると、世界は一変していた。ホテルの窓から見える建物の屋根も、道路も、歩道の街路樹も、すべてが粉砂糖をまぶしたように白くなっていた。まさに初雪が降った朝のような、新潟であれば何も珍しくない光景だが、ここは紀州、和歌山である。
部屋でテレビをつけて関西のニュースを見る。昨日の夕方からJR京都線などでは列車が雪で立ち往生し、何百人もの乗客が深夜まで閉じ込められたという。私は昨日の夕方に和歌山へ着いて旅を終えたが、あれからまだ大阪方面へ移動していたなら、トラブルに巻き込まれてえらいことになっていたかもしれない。
何はともあれ和歌山駅へ向かうと、一晩明けた今朝もJRは大混乱が続いていた。各線の発車時刻を示す電光掲示板はすべて「調整中」になり、「現在、全ての線区で運転再開の目途がたっておりません」と、さじを投げたようなお知らせボードが改札機の前で仁王立ちしている。
この日はまず、私鉄の和歌山電鐵貴志川線に乗車するつもりだったので、そちらの乗り場へ向かうと、現在は平常通り動いているという。こういうとき、路線長が短くて小回りの利く私鉄は頼もしい。予定通り、伊太祈曽行きに乗車した。
雪景色を見ながら電車に揺られ、伊太祈曽に到着。駅名の由来である伊太祁曽神社へ徒歩で向かう。除雪道具など無いらしく、駅員が出入口をホウキで掃いていた。
住宅街を5分ほど歩くと神社に着く。当然ながら、駅から神社までの道も、神社の境内も、すべて雪に覆われている。境内に至っては歩く人もいないせいか、新雪が数センチ積もりっぱなしになっている。雪のない地方へ行くのだからと、真冬の新潟からわざわざスニーカーを履いてきたのに、完全に裏目に出てしまった。
伊太祁曽神社は、『日本書紀』の中で日本国中に樹木を植えて回ったとされる「五十猛命(いたけるのみこと)」、すなわち木の神様を祀った神社だという。なるほど和歌山は深い山地が多い、紀州とはすなわち「木州」であったか……と妙に納得したような気分で参拝を終えた。
伊太祈曽駅に戻ってきて、路線の終点である貴志へ向かう。和歌山電鐵は貴志駅の売店で飼われていた三毛猫「たま」がマスコットキャラクターとなり、駅長を務めたことで一躍有名になった。初代「たま」は2015年に亡くなったが、現在は2代目となる「たまII世駅長」と「よんたま」の2匹がその座に就いている。
貴志駅の駅舎は猫をモチーフにした形で「たま駅舎」の愛称がつけられ、ここで「たまII世駅長」に会える……と思ったのだが、今日は休みだった。駅長が休みの日は「よんたま」が代理を務めるそうだがこれもいなかった。というか、時刻はまだ朝の9時前、駅長の勤務は10時からなので単純に早すぎたようだ。
やることもないし寒いので、貴志駅まで乗ってきた列車で和歌山へ引き返す。貴志川線はもともと南海電鉄の路線だったため、車両も南海時代のものを使用している。しかし「いちご電車」に「たま電車」、「うめ星電車」、「たま電車ミュージアム号」と、水戸岡デザインを前面に押し出してリニューアルしてあり、車内はオールロングシートであるが賑やかな雰囲気だ。
さて、和歌山駅に戻ってきたがJRは未だ混乱の極みである。私はとりあえず紀勢線の和歌山市行き電車に乗車した。和歌山~和歌山市駅間は営業キロ数3.3km、間に紀和という駅があり、支線のような扱いになっている盲腸線だ。「本線」との直通運転はなく、2両のワンマン電車が和歌山~和歌山市駅間をピストンするだけの単純なもので、ゆえに運転再開も早かったのであろう。
南海の駅に間借りした格好の和歌山市駅に着いて、バスで和歌山城へ向かう。……つもりだったのに、この雪でバスも朝から全便運休という張り紙がバス停に掲示されていた。城まで歩けない距離ではないが、雪の積もった歩道をスニーカーで歩くのは愉快ではないし、何より寒い。かと言って他に行くところもない。
しばらく駅前で迷った挙句、せっかく来たのだからと、大いに元気を出して徒歩で和歌山城へ登城した。バリアフリー精神なぞ皆無な時代に造られた石段や急坂、そこに雪が積もった上を歩くのは神経を使って死ぬほど疲れたが、ほんのり雪化粧した城下の景色は地元民でもなかなかお目にかかれないだろうと思うと、苦労して向かった甲斐があった。
和歌山市駅から電車に乗り、三度、和歌山駅に戻ってきて、駅近くのラーメン屋で昼食をとった。適当に選んだ店であったが、和歌山ラーメンではなく、湯浅の醤油を使った色の黒いラーメンで、また寒い思いをしただけにうまかった。
つづく
どうもこんにちは。新年あけましておめでとうございます。
今年は辰年ということで、私にとっても皆様にとっても昇り龍のごとく運気の上昇する年になることを祈念しております。
さてそんな挨拶をして早々なんですが、しばらくブログをお休みします。
先月は一度もブログを更新できず、今後も当分の間無理そうなので、ここいらではっきりけじめをつけておこうと思いまして、記事にしました。
これまでアパートの1階に住んでいたのですが、2階の住人の足音と、その部屋の室外機が深夜~早朝に立てる轟音*1に耐えかねて、12月の頭に新居を決め、下旬に引っ越しをしました。前々から――というのは年単位で――積もり積もっていた我慢がとうとう限界に達し、半ば衝動的に敢行した形です。今度は2階建てアパートの2階の部屋になりました。雪の積もった足元の悪い中、父親と2人でヒイヒイ言いながら、大型家電やベッドなどの大荷物だけはなんとか一日で運びました。
しかし衝動的すぎて小物類はまったく荷造りできず、そこから足掛け10日間かけて一人で全部運びました。あまりの量に、「人は生きるのにこれほど物が必要なのだろうか」と哲学的な問いが芽生え、ミニマリストになりかけています(笑)。
それは冗談としても、捨てるかどうか迷って保留にしたまま忘れていたようなものから、前の前に住んでいたアパートの書類やら、今はもう持っていない家電の外箱やら、完全に不要なものも結構ありました。新居は旧居より収納が少なくなってしまったこともあり、わりとまじめに断捨離しなければならないと痛感。
また、荷物を運ぶだけが引っ越しではありません。電気、ガス、水道、ネットなどのライフラインの再構築に加え、住民票や免許証などの各種公的証明書類、それから郵便物にも住所変更の手続きをせねばなりません。年の瀬なので、モタモタしていると役所や企業は休みに入ってしまいます。タイムリミットが迫りくる中での手続きとなりました。
これだけでも大変なのに、12月に入って1週間以上も過ぎたある日、上司から「1月1日付けで〇〇課に行ってもらうね☆ あと3週間もないねw」とカジュアルに異動を言い渡される始末*2。ウッソだろお前!?(驚愕)
……あ、左遷とか懲罰人事とかではないですので、念のため(笑)。
引っ越しと異動が重なってしまい、もうキャパオーバーのてんてこ舞い。仕事終わりは毎日のように旧居と新居を往復して残る荷物を運び、その合間に市役所へ行ったり警察署へ行ったり郵便局へ行ったり。荷物であふれかえった部屋に、あいさつ回りで持って行く大量の菓子折りや、次の部署で使う道具類まで加わり、物理的にもキャパオーバー。
途中、大雪に見舞われて身動きの取れない日もあって万事休するかと思いましたが、なんとか荷物を運び終え、仕事も納め、無事に正月を迎えることができました。代わりにブログを書く時間はなかったけどね……。
これまでの部署は入社以来ほぼずっといたところなので、仕事の内容や段取りなんかも熟知しており、当然ながら周囲も気心の知れた人ばかりでした。そんなぬるま湯みたいな職場から新しい職場へ移ることになり、正直、緊張しています。
……まあ、新部署にいるメンバーの半分以上は旧部署にいた先輩方なので、人間関係についてはイチからやり直しではないですが、それでも私が最年少。しばらくは修業の身としての振る舞いが求められますし、フランクに話ができる同期や後輩はいません。
慣れるまではメンタルもフィジカルも大変だろうな。腰を据えてパソコンに向かい、毎月1~2本コンスタントにブログを更新する余裕は当分なさそうです。
ということで、ひとまずは春、3月か4月ごろまでお待ちください。大丈夫そうならそれまでにちょこちょこ書き溜めて、小出しにする形で再開できればと思います。
もし春になってもまだダメそうなら、そのときは改めてご報告します。それでは。
何か辰年にちなんだ写真がないか探したところ、スマホのアルバムにあった関東鉄道竜ヶ崎線の車両です。竜ヶ崎線は、1971年に日本の旅客列車で初めてワンマン運転を始めた路線だそうです。ワンマン運転発祥の地なんですね。
どうもこんにちは。
先日、ネットで新潟県内のニュースを何気なく眺めていたら、驚きのニュースが飛び込んできました。
県内の人気スポット魚沼市の奥只見湖の近くにある老舗土産物店が11月5日、半世紀にわたる営業を終え閉店しました。紅葉がピークをすぎ秋が終わりに近づく中で迎えた閉店の日は、感謝の一日となりました。
晩秋の奥只見。けんちん汁が自慢の食堂や土産物をそろえた奥只見ターミナル。11月5日が最後の営業となりました。
「奥只見ターミナル」とは何ぞや、というのは上のニュース記事なり動画なりをご覧ください。このニュースを聞いて、私もおととし7月に奥只見ダムへ行ったときのことを思い出しました。
その様子はまだブログ記事にしていませんでしたので、今回の閉店を機に書いてみます。奥只見ターミナルに、感謝とねぎらいの気持ちを込めて。
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