鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

最後の新米

どうもこんにちは。

新米の時期ですね。皆さんはもう召し上がりましたか。

私も食べましたが非常においしい。普段から食べている米も充分おいしいですが、新米となるとやはり一粒一粒のツヤが、香りが、そして甘みが違う。ああ、米というのは、ごはんというのはこんなにうまいものであったかと、稲作文化の国に生まれた幸福をひしひしと感じられる瞬間であります。

最近は何やら「糖質ダイエット」と称して、白米をはじめとする炭水化物を蛇蝎の如く嫌う向きもあるようですが、私などは白いおまんまを我慢するくらいならブクブク太って死んでしまったほうがいいと常々思います。

そんな私が食べている米は何かと言いますと、これは名にし負う日本一おいしいお米、魚沼産コシヒカリです。誰がなんと言おうと魚沼産コシヒカリが一番です。食味ランキングで28年間守り続けた「特A」の座から陥落したり、また、今年は猛暑の影響で魚沼産を含む新潟県コシヒカリの一等米の比率が過去最低水準だったりと、近年は明るい話題が少ないのが寂しい限りではありますが……。

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さてその魚沼産コシヒカリですが、お米屋さんやスーパーから買ってくるわけではなく、実は私の母方の実家が魚沼産コシヒカリの農家なので、米だけは無料でいくらでも貰ってきて無尽蔵に食べられます。米農家の孫の私は、生まれた時から魚沼産コシヒカリを当たり前に口にしてきました。だから、ごはん=魚沼産コシヒカリです。おにぎりも丼ぶりも炊き込みご飯も、お茶漬けも雑炊もチャーハンも家では全部魚沼産コシヒカリ。へっへっへ、どうだ羨ましかろう。

しかし、四半世紀の人生で毎日のように食べてきた祖父母の米も、今年収穫されたものが最後となってしまいました。米農家を廃業したからです。

祖父母には、私の母も含めて子供が3人いますが、いずれも農業は継がず、孫の私も継がず。というより内孫がいません。祖父母だけで長年にわたって米農家を営んできたのですが、寄る年波には勝てず、ついに今年その幕を下ろすことになりました。

先日、収穫から出荷まで全て終えた祖父母の家へ行くと、作業小屋にある米用の巨大な乾燥機をJAの職員が3人がかりで解体し、運び出しているところでした。トラクターやコンバインなどの農業機械や田んぼの大部分も知人に譲り渡すそうです。

次第にがらんどうになっていく作業小屋を眺めていると、無事に最後の収穫も終わり、機械や農地も引き取り手があってよかったねと思う気持ちが半分、ああ、祖父母が米作りに精を出す光景はこれでもう見られないのだなぁという何とも言えない寂しさのような気持ちが半分、私の心に湧き上がりました。そしてifの世界にも思いを馳せてみました。もし、自分が農業に目覚めて、跡を継いでいたら……?

けれども、米農家としての最後の仕事が終わってすぐ、次はもうそこまで来ている長く厳しい冬への備えをしている祖父母の姿、その大地に根を張った生き方を見ていると、一人で勝手にセンチメンタルな気分に浸る私はあまりに対照的で、やっぱり農業をしている自分の姿はうまく想像できないのでした。

そうして、もらってきた新米を食べてみたらとてもおいしかった、というのが冒頭の文です。これが最後だと思うと、よりおいしく、なんだか貴重なものに感じます。もはや無尽蔵ではなく、限りある祖父母のお米ですから、最後の一粒まで大切に――

 

「いただきます」。