鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

47番目の和歌山へ。雪中南紀阿房列車(4)

2023年1月25日(水) 午前

 朝起きると、世界は一変していた。ホテルの窓から見える建物の屋根も、道路も、歩道の街路樹も、すべてが粉砂糖をまぶしたように白くなっていた。まさに初雪が降った朝のような、新潟であれば何も珍しくない光景だが、ここは紀州、和歌山である。

 部屋でテレビをつけて関西のニュースを見る。昨日の夕方からJR京都線などでは列車が雪で立ち往生し、何百人もの乗客が深夜まで閉じ込められたという。私は昨日の夕方に和歌山へ着いて旅を終えたが、あれからまだ大阪方面へ移動していたなら、トラブルに巻き込まれてえらいことになっていたかもしれない。

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 何はともあれ和歌山駅へ向かうと、一晩明けた今朝もJRは大混乱が続いていた。各線の発車時刻を示す電光掲示板はすべて「調整中」になり、「現在、全ての線区で運転再開の目途がたっておりません」と、さじを投げたようなお知らせボードが改札機の前で仁王立ちしている。

伊太祈曽行きは「チャギントン電車」

 この日はまず、私鉄の和歌山電鐵貴志川線に乗車するつもりだったので、そちらの乗り場へ向かうと、現在は平常通り動いているという。こういうとき、路線長が短くて小回りの利く私鉄は頼もしい。予定通り、伊太祈曽行きに乗車した。

 雪景色を見ながら電車に揺られ、伊太祈曽に到着。駅名の由来である伊太祁曽神社へ徒歩で向かう。除雪道具など無いらしく、駅員が出入口をホウキで掃いていた。

 住宅街を5分ほど歩くと神社に着く。当然ながら、駅から神社までの道も、神社の境内も、すべて雪に覆われている。境内に至っては歩く人もいないせいか、新雪が数センチ積もりっぱなしになっている。雪のない地方へ行くのだからと、真冬の新潟からわざわざスニーカーを履いてきたのに、完全に裏目に出てしまった。

 伊太祁曽神社は、『日本書紀』の中で日本国中に樹木を植えて回ったとされる「五十猛命(いたけるのみこと)」、すなわち木の神様を祀った神社だという。なるほど和歌山は深い山地が多い、紀州とはすなわち「木州」であったか……と妙に納得したような気分で参拝を終えた。

「うめ星電車」の貴志行き

 伊太祈曽駅に戻ってきて、路線の終点である貴志へ向かう。和歌山電鐵貴志駅売店で飼われていた三毛猫「たま」がマスコットキャラクターとなり、駅長を務めたことで一躍有名になった。初代「たま」は2015年に亡くなったが、現在は2代目となる「たまII世駅長」と「よんたま」の2匹がその座に就いている。

ja.wikipedia.org

貴志駅

 貴志駅の駅舎は猫をモチーフにした形で「たま駅舎」の愛称がつけられ、ここで「たまII世駅長」に会える……と思ったのだが、今日は休みだった。駅長が休みの日は「よんたま」が代理を務めるそうだがこれもいなかった。というか、時刻はまだ朝の9時前、駅長の勤務は10時からなので単純に早すぎたようだ。

「うめ星電車」の車内

 やることもないし寒いので、貴志駅まで乗ってきた列車で和歌山へ引き返す。貴志川線はもともと南海電鉄の路線だったため、車両も南海時代のものを使用している。しかし「いちご電車」に「たま電車」、「うめ星電車」、「たま電車ミュージアム号」と、水戸岡デザインを前面に押し出してリニューアルしてあり、車内はオールロングシートであるが賑やかな雰囲気だ。

 さて、和歌山駅に戻ってきたがJRは未だ混乱の極みである。私はとりあえず紀勢線和歌山市行き電車に乗車した。和歌山~和歌山市駅間は営業キロ数3.3km、間に紀和という駅があり、支線のような扱いになっている盲腸線だ。「本線」との直通運転はなく、2両のワンマン電車が和歌山~和歌山市駅間をピストンするだけの単純なもので、ゆえに運転再開も早かったのであろう。

 南海の駅に間借りした格好の和歌山市駅に着いて、バスで和歌山城へ向かう。……つもりだったのに、この雪でバスも朝から全便運休という張り紙がバス停に掲示されていた。城まで歩けない距離ではないが、雪の積もった歩道をスニーカーで歩くのは愉快ではないし、何より寒い。かと言って他に行くところもない。

和歌山城天守

 しばらく駅前で迷った挙句、せっかく来たのだからと、大いに元気を出して徒歩で和歌山城へ登城した。バリアフリー精神なぞ皆無な時代に造られた石段や急坂、そこに雪が積もった上を歩くのは神経を使って死ぬほど疲れたが、ほんのり雪化粧した城下の景色は地元民でもなかなかお目にかかれないだろうと思うと、苦労して向かった甲斐があった。

 和歌山市駅から電車に乗り、三度、和歌山駅に戻ってきて、駅近くのラーメン屋で昼食をとった。適当に選んだ店であったが、和歌山ラーメンではなく、湯浅の醤油を使った色の黒いラーメンで、また寒い思いをしただけにうまかった。

 

つづく