鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

47番目の和歌山へ。雪中南紀阿房列車(1)

2023年1月23日(月)

 名古屋仕立ての気動車特急「南紀5号」は、エンジンをゴロゴロ言わせながら、たったの2両編成で松阪駅のホームへ入ってきた。前の車両が指定席、後ろが自由席で、観光地へ向かう特急だというのにグリーン車はついていない。もっとも、どうせ私が乗車するのは自由席だから、ついていようがいまいが関係はない。

 松阪から乗車する客も少なくなかったため、1両しかない自由席の混雑具合がどんなものか分からずハラハラしたが、乗ってみるとなるほど、2両編成になるのもむべなるかなという乗車率である。一番後ろの海側の席にこれ幸いと腰を下ろしたところで、「南紀5号」はご自慢のカミンズエンジンを唸らせて軽快に松阪を発車した。

 

 ここまで昼食がお預けだったので、亀山駅近くのスーパーで買った海鮮太巻き寿司をむしゃむしゃ食ってしまう。大変うまい。亀山から松阪までは普通列車キハ25形で来たのだが、こいつはオールロングシートだから食事をとるにはまったく向いておらず、ここまでお預けを食う羽目になった。特急に乗ってよかったと思う。

 多気参宮線と分かれ、列車は紀勢本線を進む。参宮線は大学時代に伊勢市まで乗ったことがあるが、紀勢本線方面は初めてである。車窓はよくある中山間地域といった風情で、列車名から想起させるような海の景色はまだ見えない。

 景色が単調だから、やることといえば食べることくらいしかない。酪農が盛んな大内山を通過したところで、その名を冠するコーヒー牛乳を取り出し、デザートに取りかかる私。これらも亀山で購入したものである。りんごケーキは三重県産の小麦粉を使っているらしい。

 ケーキを食べているうちに、列車は紀伊長島に停車。いよいよ海沿いへと打ち出でてきた。ただ、このあたりは伊勢志摩から続く入り組んだ湾になっていて、雄大な太平洋の眺めとは言えない。山を抜け、海が見えたと思うと小さな漁村があり、高台へ設けられた駅を過ぎ、また山中へ入る。

 松阪から1時間20分、「南紀5号」は尾鷲に到着。私はここで下車して、尾鷲始発の普通列車に乗り換える。無論キハ25形である。時刻はまもなく16時、2両編成の車内は地元民らしいおばあさんの他に学生が3~4人ほどしか乗っていない。こんな調子で大丈夫かといらぬ心配をしてしまったが、三重県側最後の都市である熊野市に着くと高校生の大軍が喚声とともに車内へ押し入ってきて通路までいっぱいになり、たちまち車内は叫喚の巷となった。

 海岸の様子も、出入りの多い地形から浜へと変貌したようだが、いかんせん学生が多いので景色がほとんど見えない。私の両側にも学生が座っているから、体をひねって写真を撮ることもできない。こういう混雑したロングシート車は苦痛である。しかし駅へ着くたびに5人、10人と下車していき、次第に身軽になった列車は三重県内最後の駅、鵜殿を発車した。次は終点にして和歌山県最初の駅、新宮である。

 これまでに私は、通過しただけも含めて46都道府県を旅してきたが、いよいよ最後の県となる和歌山へ足を踏み入れようとしている。落ち着きを取り戻した車内とは裏腹に、一人ソワソワし始める私。やがて列車は鉄橋に差し掛かった。三重・和歌山県境の熊野川だ。

 ガコンガコンと床板を叩くように響く音の中、カメラを構えて写真を2~3枚撮ったところで、列車は新宮城跡の下をくぐるトンネルへ突入し、抜けるとすぐに終点の新宮へ到着した。

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 新宮はJR東海JR西日本の境界駅*1で、ここから先はJR西のエリアとなる。線路は電化され、車両も変わり、紀勢本線は「きのくに線」の愛称で和歌山駅を目指すが、私の今日の旅はここまでとする。


 『桃太郎電鉄』ならば何度も目指したことのある新宮が、最後の県の最初の宿泊地になるとは感慨深い。私はその感慨に浸りつつ、小雨の降り出した道を、駅前のビジネスホテルへ向かって急いだ。


つづく

 

 

*1:駅の管轄はJR西