鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

47番目の和歌山へ。雪中南紀阿房列車(2)

2023年1月24日(火) 午前

 オタクの朝はそれなりに早い。まだ暗く、わずかに霧雨の降る中を新宮駅前のコンビニへ向かう。イートインコーナーで朝食を済ませ、紀勢本線――きのくに線に乗車する。6時53分発の紀伊田辺行き普通列車である。

 

 きのくに線は、車内に自転車をそのまま持ち込める「サイクルトレイン」を大々的に実施しており、行先表示器にもそれを示す自転車のアイコンが表示されている。

 発車すると急激にあたりが明るくなり、車窓左手に海を見ながら走る。曇りなので空と海の境界はあいまいで、見慣れた日本海の眺めとそう変わらない。7時10分、新宮から4駅目の那智に到着。ここで下車し、朝の那智大社を参拝してみようと思う。

那智駅

 駅舎は社殿風の大変立派なもので、参拝客でにぎわった時代もあったのだろうが、無人駅となって久しいらしく、中はがらんどうである。隣には日帰り温泉施設と直売所があって道の駅にもなっている。こちらも営業時間外のため人の気配はない。新宮方面へ向かう列車の時間が近づくと学生が数人来て、4両連結のツーマン電車に乗って行った。

 自販機で買ったホットコーヒーを飲みつつ30分ほど待って、那智山行きのバスが到着。乗客は、黒いリュックを背負った中年男性が1人だけだった。このあたりで朝日が顔を出し始め、乗客2名のバスはまぶしい陽光を浴びながら、那智川に沿ってぐんぐんと登っていく。黒飴が名物らしく、道中には「那智黒」と書かれた看板がそこら中に立っている。

 那智大社へ向かう前に、まずは那智の滝前バス停で下車。同車した男性も観光客だったようで、一緒に降りた。私は先にトイレで用を済まし、男性のあとを追うような形で那智の滝へ向かう。

那智の滝

 鬱蒼とした杉の木立に囲まれた石段を下りていくと、落差133m、一段の滝としては日本一だという名瀑が姿を現す。ここは「飛瀧神社」という神社だが、社殿はなく、御神体である滝をここから拝む。平日で、まだ朝早いせいもあってか、前述の男性のほかに観光客は誰もいない。落ち着いた雰囲気の境内に滝の轟音だけが響く。現代でさえ交通至便とは言いがたい熊野の、その山奥へ分け入った先にこのような巨大な滝があったなら、古代人が神と崇める気持ちも理解できる。

熊野那智大社

 続いて、徒歩で裏参道をエッチラオッチラ登り、熊野那智大社へ。考えることは同じようで、バスの車中から一緒だった男性も一足先に参拝していた。那智の浜に上陸し、滝を探し当てた神日本磐余彦命*1は、天照大神から遣わされた八咫烏*2の先導でここから橿原へ向かい、初代天皇に即位したと伝えられる。その後、西暦317年に山の中腹に新たな社殿が設けられ、それが現在の熊野那智大社の起源という。

 隣りには八咫烏の祀られているお宮がある。神武天皇の先導を終えた八咫烏はこの地へ戻ってきて、姿を石に変えて休んでいると言われる。

 ちなみに、八咫烏サッカー日本代表チームのシンボルマークになっていることをご存知の方も多いだろう。これは、日本でサッカーの普及に尽力した中村覚之助という人の出身地が那智で、平安時代には蹴鞠の達人が奉納に訪れたことがあるなど、いろいろな由縁があるようだ。

 さて、参拝を終えたら、バスで那智駅へ戻らねばならない。少しゆっくりしすぎたせいか、あまり時間がない。往路と異なる参道を、バス乗り場へ向かって急ぐ私。すると、またあの男性が前を歩いているではないか。黒い上着に黒いズボン、黒いリュックに黒い靴、頭髪は少々あやしいが、おまけにメガネまで黒い。八咫烏の伝説を聞いた後のせいか、その黒ずくめの男性がだんだんと八咫烏の化身みたいな気がして来る。私の行く先々へ現れて、まるで先導してくれているかのようだ。……どうせ人間に化けるならハゲかけたオッサンではなく、美少女が良かったのだが。

 不埒なことを考えつつ、ときどき振り返って写真など撮っていたら、いつしか彼を見失ってしまった。おまけに道もよく分からなくなり、Googleマップで見当をつけながら歩いているうちにようやく車道へ出て、バスの発車する那智山観光センターへたどり着いた。この時点で既に発車3分前。しかし建物はあるがバス停が分からず、始発のはずなのにバスの姿もないので右往左往する私。息を切らし、大いに狼狽しながら建物の裏手へ回ってみると、まもなく発車時刻だというのに、バスの外で運ちゃんがのんきにタバコを吸っていた。黒ずくめの男性の姿はどこにもなかった。

 無事にバスに乗車し、那智駅へ戻ってきた。列車旅を再開したいが、待ち時間がまた40分くらいある。これが次のバスに乗ってくると1~2分の差で、絶妙に間に合わない。那智観光の玄関口は紀伊勝浦駅に集約されているそうだけれども、列車もバスも決して本数は多くないだけに、もう少し何とかならないものかと思う。

 しばらく不毛な時間を過ごしたが、9時半になると直売所が開いたので、いろんな柑橘だのマグロの内臓の缶詰だの、珍しいものを手に取って眺めてみる。マグロの刺身も実に安い。近所でこの値段で刺身が買えたなら、私の夕飯のおかずは毎晩マグロの刺身だろうに。

 もっとも、さすがに朝の9時半から刺身を買ってむさぼり食うわけにはいかない。代わりに和歌山県産のミカンジュースを購入し、誰もいない駅のベンチに腰掛けて、ホームの脇の梅の木を眺めながら飲む。季節は1月下旬、新潟では雪が降り続いて1年で最も寒い時期だが、ここではもうすでに梅の花が咲き始めている。なんとなく不公平な感じがする。

 ひとまとまりの時間をどうにかやり過ごし、10時ちょうど、紀伊田辺行きの普通列車に乗り込んだ。

 熊野から新宮のあたりまでは、比較的まっすぐな海岸線が続いているが、このあたりから再びギザギザしてくる。車窓には海と山とトンネルとが交互に現れ、その合間に駅がある。忘れたころに数分の停車時間があり、特急「くろしお」の通過待ちをする。クジラとイルカの漁で知られる太地、潮岬の最寄り駅の串本、紀伊半島最大の観光地と言える白浜などは耳に馴染みのある駅名である。

 白浜で停車時間があったので、少しホームに降りてみたら、浜辺から距離があるのに白い砂粒がたくさん落ちていた。「さすがは名の通りだ」と感心しながら、シーズン真っ盛りの白浜のビーチの風景を想像した。

紀伊田辺駅

 そうして各駅に停まること約2時間、終点の紀伊田辺へ到着。時刻は12時12分、ちょうどお昼時なので昼食にしよう。ここまで来たからには、ぜひとも、何としてもマグロを食べねばならぬ。

 というわけで、駅からほど近い寿司屋に入ってマグロ丼を注文。旅先で個人経営の寿司屋に入るなぞ初めてだったので、いささか緊張したが、実にうまかった。

 大満足で駅へ戻ってきたものの、列車に乗り込むにはまだ少し早い。と言って行くところもないので、待合スペースにある大きな地図を眺める。ほほう、田辺とはこういう街なのか、近づいてもっとよく見てみよう……。

 ん?

 ナニコレ?

 地図の空白部分に、ボールペンか何かで謎の情報が書き足されている。内容的に地元の人間のしわざだろう。電車を待つ間、高校生がたわむれに書いたのか。落書きするなんてけしからんと言ってしまえばそれまでだが、実感がこもっていてなんだかほほえましい。地図に隠された無数の "Tips" を探しているうちに時間になった。次の目的地はゴボウである。

 

 

*1:かむやまといわれひこのみこと。のちの神武天皇

*2:やたがらす。足が三本あるカラス