鉄路は西から東から

鉄分多めの日常とお出かけの記録

志村けんさんの訃報に接して

どうもこんにちは。

 

毎日ブログを書く時間があるわけではないので、残念ながら今の私は時事ネタに反応してすぐ記事にするバイタリティーを持ち合わせていないのですが、これには触れずにいられませんでした。

 

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志村けんさんが亡くなりました。

これまで数多の芸能人の訃報を耳にしてきた中でも、もっとも衝撃を受けました。まるで、身近にいる親戚のおじさんが亡くなったような喪失感に襲われています。

新型コロナウイルスに感染して入院していたのは知っていましたが、国内でも毎日毎日何十人も陽性が確認され入院している現状、感覚が鈍ってきていたせいもあって、志村けんさんも「大勢のうちの一人」だと思っていました。また、罹患しても必ずしも死亡するような病気ではないこともあって、きっと快方へ向かうと信じていました。

発症から死去までわずか2週間足らず。「急逝」と言っていいと思います。

 

20代半ばの私にとって、志村けんさんは何と言っても「バカ殿様」。

小学生の頃は、年に数回の放送を毎回楽しみにしてテレビの前に座り、腹を抱えて笑いました。昭和というおおらかな時代の残り香か、時にはウブな少年(私)が赤面してしまうような下ネタもありましたが、『ボボボーボ・ボーボボ』は教育に悪いと言って見させてくれなかった父親ですら、バカ殿に関しては何も言わずに一緒に見ていたのは、やはり父もまたドリフに育てられたテレビっ子だったからでありましょう。

私自身は『8時だョ! 全員集合』や『ドリフ大爆笑』をリアルタイムで見ていた世代ではありませんが、たまに特番で名場面集などが放送されると、両親とともにそれを見ていました。当時の思い出――それは番組の内容だけではなく、それに付帯した少年少女時代の家庭事情なども含めて――を語る父や母はいつも楽しそうでした。

 

 

昭和から平成、そして令和へ。3つの時代を駆け抜けた喜劇王は、「茶の間」で「テレビ」を見ながら「家族団欒」するという「文化」を今に伝える生き証人の一人であったのでしょう。

 

そして志村けんさんの死で、あらためて新型コロナウイルスの脅威を感じた人は多いのではないでしょうか。かく言う私もその一人です。

一人暮らしなので同居の家族にうつす・うつされる心配もなく、特に若者は持病でも無ければ重症化するリスクは低いだろうと判断して、大して怖い病気だと考えていませんでした。手洗い・うがいは励行していましたが、これも新型コロナウイルスがどうこうではなく、普段の風邪予防の習慣を、ちょっと余計にやっている程度の感覚しかありませんでした。

だから、正直言ってどこの誰かも知らない高齢者が亡くなったという報を聞いてもまったく現実感が湧きませんでしたし、イベントの開催に加えて、外出すら自粛するよう求める政府や自治体の首長の対応を「過剰なもの」と感じていたのは事実です。一時、世間の空気も「もう収まりつつあるんじゃね? ちょっとずつ再開しても大丈夫じゃね?」みたいな雰囲気になりましたね。

しかし、あの志村けんさんが亡くなった、それもわずか2週間足らずの出来事だと聞き、新型コロナウイルスが「無差別殺人ウイルス」であるということを痛感させられました。今回のコロナ禍を世界規模の戦争に例えている人もいますが、一般市民だけでなく、政治のリーダーや王侯貴族のような富裕層の人間も等しく感染しているところを見ると、ある意味では戦争より恐ろしいもののような気がしてきます……。

 

明日から新年度ですね。私は社会人4年目に突入します。今のところ、幸か不幸か――いや、明日の飯の種もどうなるか分からない人がいる中では、間違いなく幸運でしょう――仕事は特にヒマにもならない代わりに忙しくもならず、まったく普段どおりの生活を送れているので、このまま新型コロナウイルスなんぞに負けずに新年度を迎えたいと思います。

「喪に服す」というわけではありませんが、私は今日と明日の2日間の休日を、外出せずに過ごそうと心に決めました。このところ、自分以外の用事で遠出をすることも多かったですし。自宅でゆっくり過ごします。微力でも一人ひとりが少しずつ我慢することで、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めをかけることが出来たなら、志村けんさんが命と引き換えに遺してくれた教訓は、きっと無駄にはならないでしょうから。

 

じゃ、今からちょっとリモートワークでハイラルを救ってきますわ。

 

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